ホステスを始めたきっかけ


好きなことで起業しようと考えた昨年、私の突出してることは何か・世の中に残せること私が人のために出来ることは何かを掘り下げたとき、ある一つのことに気づいた。

2011年。震災のボランティアにずっと通っていたとき、石巻市の牡鹿半島というところで仲良くなった幼い三姉妹が、全てのキッカケだった。

何度も活動を重ね心を通わせていくうちに、その行動や発言に胸を打たれることが多く、この過酷な状況で精神に何が起こっているのか知りたいと思った。
そこで発達心理学、特に幼児心理学・児童心理学を研究したくて、もう一回大学に行こうと考えた。
その時、日中と夜勤の臨床検査技師をしながらコッソリ副業で手っ取り早く稼げること、それがキャバクラだった。
でも性に合ってると確信があった。私の承認欲求が満たされたり幸福感をもたらすことは、人を楽しませたり喜んでもらったりすること。それに、仲良くなった友達と関係が密になればなるほど、仕事がうまくいったりモテるようになったりで感謝されることが多かったから、人の気分をアゲるのが上手なのかもしれないと思っていた。

その読みはやはり当たった、入店月にまず店のNo.1になれた。
それをグループの社長から贔屓かと勘違いするほど評価してもらったのだ。
わざわざ会食にも連れていってくださった。
ってなると今度はその期待に応えたくなる。次はグループNo.1。グループで1番席数が少なく 来客数も大きい店の半分以下だったウチの店舗から、グループNo.1になるにはどうしたらいいか考えた。
客数が見込める他店に移籍しなかったのは、グループで最も小さい店舗からNo.1が出るストーリーの方がカッコいいと思ったのと、店長の顔を立てたいと思ったから、ただそれだけ。
この来客数で月に指名380本上げるにはどうしたらいいのかと考えていたら、すごく卑しいことを思いついてしまった。お客様一人ひとりの収入が上がったら、もっと通ってくれて指名が被りグループNo.1になれるんじゃないだろうか。
それから心理学をひたすら実践してお客様をアゲることに注力した。お客様は出世したり仕事が増えた。思惑どおり年収も増えたようで通う頻度も多くなり、指名も伸びたけれど、その月結果はグループNo.2だった。

「なにがいけなかったのだろうか。」

思い悩むとき、被災地の子どもたちを思い出すことが多かった。
中でも印象的だったのが、震災から1年経ったイベントで、石巻市から名古屋まで758キロリレーの選手を務めたとき走りながらスマホで中継したのだけれど、それを見てくださった皆さんの反応だった。
2012年にライブ配信は今ほどメジャーではなかったが、皆さんパソコンやスマホから昼夜問わず見てくれていた。
そして選手20人で3泊4日タスキをつなぎ、全員で完走のゴールを迎えた。大きな門をくぐった瞬間、東別院が端までいっぱいになるほどとてつもない人数が迎えてくれた。
その中には被災地から招致し親交の深い皆さんも来てくれていた。口々に「直向きに走る姿に生きるパワーをもらった」と涙を流してくれた。
その時、初めて自分の行動・背中によって周りの人の感情が動いたのを肌で感じた瞬間だった。
名古屋から石巻へボランティアに参加する人数も毎回満員御礼になるほど増えた。人の心を動かすのは、物や内容ではなく、そこにいる人。語らずとも、その姿勢だ。
そのことに気づいてから、わたしが卑しく考えたことは改めてた。
そして素直にありのままで、楽しんでもらえるようまた接客し始めると、お客様はもっとアガッた。
もちろん、仕事が増え忙しくなったお客様が多くなったが時間がないにもかかわらず通う頻度が増し、太くなっていき結果的に私はグループNo.1になった。その月指名は450本近かった。あの小さい店舗でグループ始まって以来の異例の数字だった。

そして店長に言われた。
「しばらくNo.1で居続けると、女の子も甘えが出て常連のお客様のときはセーブしてる。でも、〇〇(私の源氏名)は席つくたびに毎回全力フルスロットルでこんなNo.1は初めてだ。」

全力フルスロットルって(笑)て思ったけど、その一言で改めて考えた。
お客様の心を動かしていたのは、楽しんでもらいたい一心の、文字通り 私の一”所”懸命な姿だった。コレで明日も頑張れそう!ってわざわざ来てくれる。楽しませてくれてありがとう応援してるって言ってくれる。わざわざアガる心理学なんて使わなくても仕事もプライベートもうまくいくようになる。
それは私の言葉だけでなく、姿勢がそうさせたのだろう。
1ローテで5分しかつかないことがあっても、お客様が離れていかなかったのは、1秒でも全エネルギーをかけて深い愛情をもって気分がアガり笑えるように夢中で接客していたからかもしれない。

しかしグループNo.1を守り続け指名は増えていったけれど、次第に毎月の期待とプレッシャーになり体調を崩した。そして大学に行きたくて始めた動機は上書きされ忘れてしまっていた。
辞めてから、ずっと貯まっていた資金は一瞬で全てなくなった。けどそれで良かったのかもしれない。
もし泥水飲むようなそれからの苦労を知らずにあのまま大学に行っていても、今の思考には及んでいなかった、今気にかけてくださる皆んなにも会えなかった。

大事にし続けなければならないことは、今、信頼してくださって関わってくださってる人たちだ。
私の姿勢と頑張りを持って、懸命に着実にこなさなければならない、と内省し、さて仕事しよ。

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